2011年3月11日、東日本大震災が日本中を揺らしてから約3ヶ月後の宮城県気仙沼港へ訪れたときの記録と記憶。
震災発生当時
日本全体を襲った大地震。その後の混乱とお互いを監視し合うかのような雰囲気。
被災地へ瓦礫の撤去や炊き出しにボランティアとして行こうにも、まずは自分の衣食住が数日は確保できないと、かえって迷惑をかけに行くようなもんだった。
物資を送ろうにも、被災地には不要品ばかり送りつけられて迷惑しているといったニュースも流れていた。
結局のところ、自分の無力さをつきつけられ、自粛ムードにのみ込まれていた。
しばらくして、被災地にもガソリンや物資が完全ではないが行き届くようになりはじめ、自粛ムードや監視し合う雰囲気が少しなくなってきた頃、岩手県でバイカーズ・ミーティング「V-Rally」が開催された。
約3ヶ月後のV-Rally
震災の約3ヶ月後、2011年6月18日。
岩手県藤沢町には全国からバイカーが集まっていた。なかには北海道からフェリーを乗り継いで来たバイカーもいた。
このとき自分は富山から岩手へ行っていた。
これは思い込みかもしれないが、遠い地に住んでいる友人が遠路遥々会いに来てくれるとうれしいように、長距離を走って来ることで、イベントに携わっている人たちが少しでも元気になってくれるのではないかと思っていた。
宮城県気仙沼港へ
翌朝、宮城県気仙沼港へ向かった。
V-Rallyに来た理由のひとつでもある。被災地の現実を自分の肌で感じたかった。
自分は早めに出発したつもりだったが、道中、昨夜まで一緒に飲んでいたバイカーと偶然再会した。
ちょうど気仙沼港から帰ってきたところだった。
すでに気仙沼港を見てきていた。
いつもの様子とはかけ離れていて、珍しく落ち込んでいる。
彼と会ったことで、同じ気持ちで走るバイカーがいたことに一瞬だけ気持ちが和らいだが、落ち込んでいる様子をみると、この先にある現実はテレビ画面でみるものと同じではないと確信した。
地震発生から約3ヶ月後の気仙沼港
2011年6月19日 宮城県気仙沼港周辺
なぎ倒された信号機。
津波で流されたと思われる自動車。
ある程度、瓦礫が片付けられているが、津波の威力が大きかったことがわかる。
転がったままの湯呑み。ついさっきまであった生活が突然破壊されている。
掃除された形跡があるが、天井がはがれていて津波が天井より高いところまで来たことがわかる。
マンホールからは水が逆流して、水たまりができている所もあった。
基礎からずれてしまった建物。
押し寄せた津波に倒された電灯。
震災から3ヶ月経過しているが、瓦礫が残る家屋もたくさんあった。
壁掛け時計は被災時の時刻のまま。
沈没してしまった桟橋。
ここで起きたことに、ただ呆然とするしかなく、言葉が何も出なかった。
この時、3.11から約3ヶ月たった日だった。
瓦礫の撤去もすすんでいたが、ここは時間が止まっていた。
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